いつまで続くのか、何を書くのか、それもまた流れのままに 頭の中にまとまらないものがあるから そんなのがふと出た時に書いていく
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確たる自信、そして正直に、そして食らいつけ-兼元謙任
2008-09-10-Wed  CATEGORY: 名言
兼元氏は言う。「自分ならできる、と確たる自信を持てるようになったからホームレスを脱することができた。俺はダメだ、とめげているうちは何をやっても失敗してしまう」
そして思わぬ転機を幸運に変える秘訣をこう語る。
「石の上にも3年。これだと決めたら最低でも3年は食らいつく。そうしないと、転機があっても何もモノにできない人生になってしまう。また、正直であり、常に人に教えを請うことです。すると必ず協力者が現れます」
http://type.jp/s/kakokiji/type/0410_28.html

自分を信頼すること、そして腐ることなく歩むこと。
よく言われることではあるが、本当に心からそう思える人間なんて多くはない。
この人の場合は一番大事なものを苦労が育ててくれたのだろうなと思う。
環境云々いう前に、まずは自分について考えなくてはいけない。
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日本通信・三田聖二
2008-08-27-Wed  CATEGORY: 名言
社長になりたいとか、昇進したいという前に、まず自分にとってのハピネスとは何か、それを追求した方が意味のあることだと思う。自分が満足できるハピネスがなければ、いくらお金持ちになったとしても、アンハッピーなままです。たとえ有名な歌手になったとしても、歌うことがハピネスでなければ、いつか天井にぶつかってしまうでしょう。
http://allabout.co.jp/career/careerplanning/closeup/CU20061220A/

俺はこれでいいのだという部分がないといかに成功しようとも最後には虚しくなる。
自分と遊離しているのはやはり自然じゃない。
人生とか自分とかを何かしらのきっかけで考え抜かないとやはり得られないものだと思う。
お金とか名誉で幸せになれると思っている人間には考えも及ばない心境だろう。
幸せは自分の心が決める、これは真実だ。
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一淡字の上に工夫するべし-曽国藩。
2008-08-05-Tue  CATEGORY: 名言
清末の偉人、曽国藩。
彼の日記の一部をみたが常に自らを得ようと悶えている。
自己の人間性を高めるために学ばんとし、理想に少しも至らぬ自分を憂えている。
如何に名声が高まり地位が高まろうともその心意気は変らない。
それなのに、彼は終に自己を得るまでには至らなかった。
これほどまでに自省を繰り返し理想を抱いてなぜ至らぬのか、不思議でならない。
人は真に求めていればいつか必ず出会いがあるのではないのだろうか。
彼にはただ、出会いに気付くだけの感性がなかったのだろうか。
彼の志はとても崇高で確かなものであって、哲人と呼ぶに相応しい。
だが一つ感じたことは、その日記に描かれる姿には、楽観的で余裕を抱く様子が感じ取れなかった。
常に道求してはいるが、そこに余裕のある姿が存在しない。
苦しいのだ。
読んでいて、なんと素晴らしい人間なのだろうかと思うと共に、どこか寂しさと悲しさを得る。
これほどまでに探求していながら、真実の楽しさを得ることなく去ってしまう。
その無念に心を馳せたとき、道を学ぶとはなんと難しく偉大なことかと思うのだ。
何時の時代も、人が真に目指すべきは変らない。
一淡字の上に工夫するべし。
至誠にして至虚なのである。
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朝日の昇る色に吹け
2008-07-04-Fri  CATEGORY: 名言
剛の意味を調べていたら、刀の材料である鋼を意味するらしいのです。
で、日本刀ということで調べていたら日本独自の製法「たたら吹き」というものがあるらしい。
この製法は砂鉄から鋼を作るらしいのですが、現在の鋼と比べて特異な性質を持つと。
酸素を多く含むようで、本来は少ない方がいいのですが和鋼では一味違う。
日本刀の折り返し鍛錬と共に扱うと酸素を多く含むことが粘り強く美しい刃紋を描くみたいなのです。
一般的な鋼では悪い要素が一転して善い要素へと変化する。
これってすごいことです。
なんか一つの真理みたいで心を捉えられます。
技術が発達したといっても、昔に編み出されたものにはまったく及びもつかないものがある。
年月かけて経験と感覚から編み出して、それが数百年経った今も他に勝る、こういうのを見るとなんか楽しくなりますね。
現在でも年に数回はこの製法を行うそうです。
その製造には村下(むらげ)という名称で継承されている技術者が欠かせないとのこと。
日立金属に解説があるのですが、そこにあったこの言葉はとてもよいです。
「初日の籠もり期には朝日の昇る色に吹き、二日目は太陽の日中の色に吹き、最後の日の下り期には日が西山に没する色に吹け」と父の村下から教わった。
結局、人の感覚でしかやりようがないのだろうと思います。
温度いくら、湿度いくらと具体的に数字で決めてもうまくいかない。
炎に問いかける、ただそれだけ。
その一事に自分を尽してようやく感覚として捉えられるのであって、言葉や文字では説明できる部分ではない。
多くの人はすぐに頭で理解しようとするけれども、本当に至った部分というのはそういうものなのだと思います。
私自身に体験がある訳ではないのでわからないのですが、なんとなくそう思うのです。
人というものはおもしろいものです。
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仏道をならふといふは、自己をならふなり。
2008-06-22-Sun  CATEGORY: 名言
教育3chでやってた「こころの時代-宗教・人生-道元のことば~正法眼蔵随聞記にきく~ 我執を離れる」
期待して見てみたらとっても微妙。
司会者はすぐに分かちたがって小さく考えるし、解説してる坊さんはなんか表面的。
司会者にあわせてるだけなのかわからんけれども。
経典を解説してもらって読むの自体が何か失ってる感があるわけで、わからない語彙の意味ぐらいは知らないとどうしようもないが、個々の文章ではなくて全体の流れと大意を自分の感性で受け取らないともったいない気がする。
我執というのは知ろうとすること自体であって、自分の心、その感性で感じとるのは我執ではない。
知るというのは分かつこと、そして自分というのは自らを分かつこと。
自らの心に従えば人如何なんてありえないし、自分の利欲などというものもありえない。
あらゆる事象が自らと共に流れる。
捉え方というのはとても大切で、人はその心との接し方次第でその生き方、現実への感覚が大きく変わる。
自分にこだわればこだわるほど余計なことに煩わされる。
ただし、自分にこだわらない、というのは自分を無くすことではない。
この辺は禅で云う不立文字であってなんとも云い難い。
儒教で云えば中庸の心境だろうか。
仏教も儒教も、根本でいっていることは結局のところ同じ気はする。
最後に一番気になった坊さんの言葉。
ドライに捉えるのが悟りといって良いのではないでしょうか、などと言う。
これはちょっとひどい。
離れるということはドライになることじゃない。
ドライに捉えるのが悟りならそんな悟りは消え去ったほうがいい。
題名に惹かれたけど虚しい番組だった。

仏道をならふといふは、自己をならふなり。
自己をならふといふは、自己をわするるなり。
自己をわすれるといふは、万法に証せらるるなり。

自己心に至る、これ天理にして合して一なり。
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