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おくりびと
2009-03-28-Sat  CATEGORY: その他
大人なら観て損はない映画だと思う。
「大人なら」というのはある程度の精神性を有していないと無味だろうとも思うから。
精神的な意味である程度成長していなければ、自分としての考えも生じず、原作者がいうように単に「癒し」としてしか残らんかもしれない。
まあ、損得じゃないが。
死を目の当たりにする、その死が身近にあるというのはやはり考えさせる。
生ある人間は絶対に目をそむけてはいけない部分。
今の打算的な世の中で考えれば、ある意味、死んだ人間に化粧をしてわざわざおくりだすことなんて無駄だ。
でも、そこには打算を超えた人間らしい部分がある、それを何となく感じさせてくれる。
印象に残る言葉なんてないし、これだという名場面もない。
あるとすれば、本木の「おくりびと」としての挙止動作だけが印象に残る。
他には何も無い。
ただ、死ぬ人間がいて、ただ、おくる人がいる。
それだけの映画だ。
だからこそ、観る人それぞれがそれぞれの死を想うことができるのだと思う。
できれば火葬場の火夫は黙らせておきたかったところだがそこは目をつぶるとして、原作とされる「納棺夫日記」の著者が映画を観た感想を述べているので、それを引用しておこう(原作者は着地点の相違から名前が挙がるのを辞退しているとのこと)。
「死者と生者のきずなが大事だよと映画は教えてくれるけど、最後は「癒やし」なんですよね。そこで止まっていたら、やがて人間中心主義・ヒューマニズムは、自己中心主義になるのではないでしょうか。癒やしだけだと、その場を取り繕うことになりかねません。におい消しみたいなもので、においそのものを断っているわけではない。においそのものを断つには、宗教的なものが必要になるんです。」
http://mainichi.jp/enta/cinema/news/20090302mog00m200035000c.html
新渡戸稲造はある外国人に「あなたがたには宗教教育というものがないのですか」と驚かれたという。
それではどのようにして子孫に道徳教育を授けるのか、と。
そこで新渡戸稲造は「武士道」へとたどり着いた。
神道、儒教、仏教、外来の宗教をも渾然と統一し、独自に高めていった偉大なる日本の精神。
だが、今は武士道という偉大なあり方は失われ、かわりに名前だけの宗教ばかりが巷にあふれ、終に本物はどこかへ隠れてしまった。
わけのわからん教団ばかりが跋扈し、それ故か、日本人は宗教と聞けば毛嫌いするようになってしまった。
本当は誰しもが宗教心はもっている。
真実の意味では、宗教とは自己にかえる、ただそれだけのものなのだ。
人間として如何にあるべきか、偉大なる始祖達が追求したように、人間ならばそこに思いを巡らす、当たり前な生き方なのだ。
人に寄り添うだけなら簡単だ。
でも、本当に和することができるのは、真に自分へと反れた者だけだということを、自覚しておくべきだと思う。
※尚、「納棺夫日記」自体を読んでいないので原作者のいう宗教が私と同じ捉えかたなのかはわかりません。悪しからず。
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